義父が亡くなったあと、義姉から、仕方のないことだった、誰が悪いわけでもない、という趣旨の言葉を聞きました。
私には、すぐに「そうだね」とは言えない気持ちがありました。
思い浮かんだのは、役所へ行き、病院へ行き、介護認定の調査員の方と話をしたことです。あの頃の私は、義父がデイサービスに通えるようになれば、少し外に出る楽しみができるかもしれないと思っていました。
あの一言がどうして今も心に残っているのか。時間がたった今、ようやく言葉にできる気がします。
義父に、少しでも元気でいてほしかった
当時、私は義父の様子を見ながら、このまま家で過ごす日が続いて大丈夫だろうかと心配していました。家族以外の人にも関わってもらえたら、義父の毎日が少し変わるかもしれない。そう考えて、介護認定の手続きを進めました。
私は嫁です。どこまで私が動くのか、立場で線を引くこともできたと思います。でも、目の前の義父が心配でした。できることがあるなら、やってみよう。その頃は、それがいちばん素直な気持ちでした。
ようやくデイサービスを利用できるところまでたどり着きました。けれど、義母や義姉の協力を得ることが難しく、利用の話はそこで立ち消えになりました。
手続きは、私が時間をつくって動けば先に進みます。でも、そこから先の暮らしは、私一人では決められませんでした。
「だから言ったのに」と思った自分もいます
その後、義父の認知症は進み、床ずれもできました。やがて病気になり、私が思っていたより早く、お別れの日が来ました。
デイサービスに通っていたら、その後がどう変わったかは分かりません。
それでも、義父の様子を見ていて、「だから言ったのに」と思ったことはあります。今振り返っても、それは私の正直な気持ちです。
そして、その悔しさの奥には、やっぱり悲しさがありました。私は義父にもっと元気でいてほしかった。もう少し一緒に過ごせるつもりで、あちこち動いていたのです。
「仕方なかった」の一言で、行き場をなくした気持ち
義姉がどんな思いでそう口にしたのかは、私には分かりません。同じ家族でも、義父との別れをどう受け止めたかは、それぞれだったと思います。
ただ、私には、あの一言で介護の話に区切りがついてしまったように聞こえました。私の中では、まだ終わっていなかったのです。
もしあのとき、誰かが「お義父さんのこと、ずっと心配してたもんね」と言ってくれたら。私は「そうなの。もう少し元気でいてほしかった」と、話せたかもしれません。
私が分かってほしかったのは、義父を心配しながら過ごした、あの時間のことでした。
どれだけ手間をかけたかを数えてほしかったわけでも、私の考えが正しかったと認めてほしかったわけでもありません。ただ、家族の誰かと一度くらい、あの頃どんな気持ちでいたのかを話したかったのだと思います。
あのときの自分に、今ならかけたい言葉
介護を振り返ると、「もっと何かできたかな」と、今でも思うことがあります。その一方で、あのときの私には、その後のことなど分かりませんでした。分からないなりに義父の様子を見て、役所にも病院にも足を運び、自分にできる手続きを一つずつ進めました。
今なら、当時の自分にこう言いたいです。
「お義父さんに元気でいてほしくて、行けるところには行ったよね。あのとき、本当に心配だったね」
家族にはもう話しにくいことでも、自分の中では、そうやって振り返っていいのだと思います。
もし、あなたにも「もう済んだことだから」と飲み込んできた言葉があるなら、あのとき誰に、何を分かってほしかったでしょうか。
私の場合は、ずいぶん時間がたってから出てきた、「心配だった」という短い言葉でした。
家族には言えなかった思いが残っている方へ
私はココナラで「ペギー」として、お手紙相談をしています。家族に言われて今も引っかかっている一言や、その場では言えなかった返事。そんなところから書いていただけます。いただいたお話を読み、あなたが何を大切にしてきたのかを一緒に考えながら、私の言葉でお返事します。
